佐渡雑誌のさきがけ「北溟雑誌」

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北溟雑誌は明治20年から29年までの8年4ヶ月間、本荘了寛等によって発行された佐渡の月刊雑誌のさきがけ、内容は産業・歴史・風俗・文学に関する論説からニュースまでを掲載している。
山本修之助は昭和50年に荏川文庫の収蔵している北溟雑誌を復刻しているのが、上記の写真である。本サイトでは、佐渡郷土文化主宰山本修巳氏の許可により、この復刻刊本をデジタル化して掲載している。

北冥雑誌復刻版目次
上記復刻本の各号の目次をまとめたもの

北冥雑誌創刊号復刻版
上記復刻刊本の解説と創刊号の部分をPDFとしたもの、今後各号を順次掲載していく。

北昤吉の雑誌「祖国」「猶興」

祖国01_10創刊号

祖国01_10R創刊号

祖国16_11_12R 祖国03_08R 祖国06_05R 祖国08_01R 祖国08_02R

祖国08_03R_二二六の教訓
祖国08_05R 祖国08_06R 祖国08_07R 祖国08_08R_兄一輝を語る
祖国08_09R_ヨッフェ公開状
祖国08_10R 祖国08_11R 祖国08_12R 祖国09_01R 祖国09_02R
祖国09_03R 祖国09_04R 祖国09_05R 祖国09_06R 祖国09_07R
祖国09_09R 祖国09_10R 祖国09_11R
祖国10_01R山本悌二郎死去
祖国10_02R 祖国10_04R 祖国10_05R
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祖国10_10R 祖国10_11R 祖国10_12R 祖国10-03R 祖国11_01R
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祖国11_07R 祖国11_08R 祖国11_09R
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祖国12_08R 祖国12_09R 祖国12_10R 祖国12_11R長田実手記
祖国12_12R 祖国13_01R 祖国13_02R 祖国13_03R 祖国13_04R
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猶興01_01創刊

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北昤吉の政治雑誌「祖国」
私がここ数年調査している徳和の野澤卯市旧宅の資料に、北昤吉からの書簡を多くみる事が出来る。それらの書簡は、卯市が新潟に在住していた昭和十七年頃から戦後の昭和二十九年頃迄に渡っている。 卯市は昤吉にとって選挙区に於けるブレーンであり、中央政界の筍な情勢と自己の立場を報告し続けなくてはならない相手だった。この政治報告を主とする書簡のなかに、昤吉が自分の親族について書いている。
昭和十八年三月十日の昤吉から卯市への手紙
(前略)一寸新潟へ出たく候へ共美術学校組織が意外に手間取り候間 閉院式後直ちに新潟に出ずべく候 数日の滞在政局御報告上申べく候 近日著作も出来候間持参致すべくは 故本間一松之孫にて鶴間家の相続人の孤児(家内の姪)も連れ帰り新穂に一家を持たすべく候(後略) この孤児とは鶴間春二に嫁した本間一松の三女薫の娘、昭和二十年に没した千代子と思われる。また、佐渡社会主義運動の魁のひとり、新穂・後藤奥衛の「北昤吉礼賛」という新聞寄稿に、終戦間際に中国青島から佐渡に戻った本間一松の次男末雄の遺児達が困窮している時、扶助の資金を昤吉が出した事が書かれている。兄一輝の亡き後、井戸塀政治家本間一松の困窮する後裔達をサポート出来るのは縁者のなかで昤吉以外にはなかったと思われる。 政治雑誌「祖国」は北昤吉によって昭和三年から昭和二十三年迄、昤吉の外遊期間の休刊を除いて、月刊で出版されていた。 昤吉は創刊当初、多くの立場を異にする論客に主張発表の場を提供する政治雑誌として「祖国」の刊行を行ったが、戦争末期に至り昤吉の機関誌としての趣が強くなっていった。 そして、この雑誌への諸寄稿を材料として、昤吉は戦後行われた公職追放の対象になってしまった。 私が國会図書館の窮屈な稀少書籍閲覧室で「祖国」の頁を捲ったのは、昭和十五年十一月号に掲載されている「在上海、長田實、北一輝を語る」と云う記事を読みたかったためである。長田實は上海の合同租界の邦人地区で長い間医師をしていた人物だが、上海に在住していた頃の北一輝のブレーンとして彼を保護し見守っていた。この長田の出自が知りたくて辿り着いたのが、この「祖国」の記事であった。しかし、この記事の中でも長田は自分の来歴については語っておらず、目的は達せなかった。 昨年秋、野澤卯市後裔の野澤孝夫氏から、蔵に「祖国」が八年分程あったが見るか?との連絡を頂いた。 前述の國会図書館を始めとして、各大学図書館等の閉架に稀少書籍として部分的な収蔵はされてはいるが、自由に複写出来る環境はどこにもない。そこで、私はこの百冊を越える「祖国」のコピーを核として「祖国」全号のコピーを収集する心積りで野澤氏から借用した。 借用した「祖国」は、一年分が纏まったものとしては昭和十一年、十二年、十三年、十四年、十五年、十六年、十七年、十八年の各巻である。まず興味が湧くのは昭和十一年二月に起きた兄一輝が連座した二・二六事件を昤吉がどの様に語っているか、である。まず、昤吉は昭和十一年三月・四月合併号で「二・二六事件の教訓」と題した寄稿をしている。未だ帝都は戒厳令下にあり・・と書いているから、二月末に書かれたものと思われる。他に事件から廣田内閣の組閣までの経緯を「調査部」の名で述べている。そして「帝都騒擾事件を如何に見るか?」との特集により、満川亀太郎他の諸氏に小論を募っている。 ちょうどこの頃、昭和十一年二月二十日に第十九回衆議院議員選挙が行われ、北昤吉は佐渡から中立で立候補し当選している。この選挙に野澤卯市は不出馬を表明し、佐渡民政党は候補者難であったが、卯市は小木の塚原徹、両津の土屋六右衛門を経て昤吉からの公認申し入れを受けた。卯市は佐渡での知名度の低い昤吉の擁立を疑問視したが、土屋六右衛門等の強力な推薦もあり、まず中立での立候補し民政党が応援する事にした。 当選  二〇、七六五票  (政友会) 佐渡郡  山本悌二郎 一八、八〇一票  (中立)  同    北 昤吉 一四、九六九票  (民政党) 新潟市  松井郡治 次点  一二、八一五票  (政友会) 西蒲原郡 田辺熊一 初の衆議院議員選挙と当選の最中に起きた帝都騒擾事件と兄の収監に、昤吉の政治雑誌が三月・四月合併号となったのもやむない事であろう。しかし、この騒動のなかで同年の七月号で、歌と評論社と祖国會の共催、佐渡日報社の後援で佐渡観光團の募集が行われ、翌月には昤吉一家、祖国會主要メンバーも参加しての旅行が行われている。 同年八月号で、中央公論七月号からの転載ながら、「兄北一輝を語る」と云う文章を掲載して、兄の来し方を仔細に述べているが、その文中で 「自分が今、兄に関する評価を避けなければならない理由は、兄が現に留置されている容疑者だからだ。事件の全貌は未だ闇のなかだ。戒厳令、戦時下の現在、事件が特別軍法会議に掛けられている今日、自分の筆端も自ずと拘束されている。この「北一輝を語る」の一文も兄の現在と将来を語る事は出来ず過去を語るだけである。」 と苦しい心境を述べている。 続く同年九月号では、兄一輝が大正十二年五月に配布した文書「ヨツフェ君に訓ふる公開状」を掲載している。 次に同誌が北一輝に触れるのは同年十二月号、昤吉は「北一輝を語る」の続編として、「支那革命と北一輝」の題で、一輝の著書「支那革命外史」から書き起こし、昭和十二年に入り新年号では、大正八年に上海から満川亀太郎への書簡「ベルサイユ會議に対する最高判決」を掲載している。 同年の三月号で、「軍部の政治行動に就いての不審の数々」などの寄稿によって、二・二六事件への軍法会議での処置と以後の軍部体制への異議を述べている。 一方、東京憲兵隊は怪文書配布の容疑で昤吉を拘引し取り調べているが、彼の軍部批判への対応であろう。昤吉は同年二月二十四日の衆議院予算総会で粛軍問題に就いて質問に立ち、二・二六事件発生の原因並に首謀者の思想的根源などについて杉山陸軍大臣を追求している。 しかし、同年四月三十日には、内閣の解散により第二十回の総選挙が執行され、昤吉は総選挙に先立つ四月七日に立候補と共に民政党へ加入している。 選挙は西蒲原郡の政友候補者 田辺熊一が健康を理由に候補を断念したので、昤吉は無投票で当選となった。 政友會  (佐渡)  山本悌二郎 民政党  (同)   北 昤吉 同    (新潟)  松井郡治 以後、昤吉は「祖国」誌上で直接二・二六事件や兄一輝を論評することはなくなっている。 私が昭和十二年以降の「祖国」から拾い上げたのは、以下のふたつの記事である。
昭和十六年十一月号「農村問題座談会」
同年九月二十八日に両津町の北昤吉宅で行われた座談会の出席者は北昤吉の他 縣会議員・郡農會長、高橋幸吉 河崎村村長、権代往策 農林技師、石綿政治 佐渡農学校長、荒井康治 河崎村農會長、後藤善次 西三川村農業、佐々木鞏太郎 西三川村農業、高柳金壽郎 西三川村収入役、金子長吉 西三川村勧業主任、服部留蔵 松ヶ崎村、帯刀金蔵の十名である。この座談会の冒頭、昤吉は会のテーマを農村が抱える問題点として、農業に於ける労働力、資材、統制、肥料、価格、運輸、配給を挙げ、更に満州佐渡村建設についての意見を求めている。北の問題提起に対して各出席者は個々に具体的な回答と要望を出しており、議員に対する陳情行為の感がある。 昤吉の支持団体は教育者を中心とした「祖国會」であり、新潟縣にも強力な支持基盤を持っていたが、地元佐渡では旧来の民政党と土屋六右衛門等の郷党の支援しか持たず、新たな支持基盤として想定される町村官吏達の具体的な意見を汲み上げる事が必要であったと思われる。
昭和十八年一月号「農村新年」
十七名の教育者、宗教家、縣会議員等の和歌を特集しているが、この中に、渡辺湖畔、金子不泣、中川杏果、庵原健等佐渡の歌人の作品を採用している。題名の「農村新年」から判るように銃後の農村民の決意を綴った戦時色の強い歌ばかりであるが、八年に渡る百冊の「祖国」の中で、佐渡の人々を登場させた特集はこのふたつだけである。 この時期以降戦争末期に至るにつれ、昤吉は翼賛政治への抵抗から東條内閣との軋轢は深刻となり、議会の空洞化と共に選挙区を代表する衆議院議員としての活動は乏しくなっていったと思われる。 この稿は政治雑誌「祖国」と選挙区佐渡との係わりだけに着目しており、北昤吉の政治思想については本間恂一氏等の著作を参照頂きたい。 北昤吉「祖国」の複写を手許に置いてから二ヶ月にしか過ぎず、また私が元々昤吉の思想について述べる程の知識を持ち合わせていないにも係わらず、この政治雑誌を紹介したのは、収集未了の「祖国」を佐渡島内で探したいためである。 「祖国」は北昤吉だけでなく、同時代の論客達の寄稿を掲載しており、複写物で全巻を取り纏める事が出来れば、昤吉や近代政治思想家の研究を進める研究者の助けとなると思われる。 上述の様に「祖国」の創刊は昭和三年だが、掲載している巻は揃っていない。未収集の巻を所有されている方がおいでなら、ぜひお貸し頂きたい。 また、「猶興」は佐渡両津図書館閉架にあったものを、佐渡教育委員会のかたの好意で収集させて頂いた。

数年前に書いて未公表の文章から

佐渡年代記、佐渡郡教育委員会版、上、中、下、続輯

佐渡年代記

佐渡251年間の歴代佐渡奉行所の記録を編纂したもの。嘉永5年から明治7年までについては「佐渡年代記続輯」としている。昭和10年から佐渡郡教育会が刊行したこの刊本は、佐渡支庁本を底本とし、鵜飼文庫本、荏川文庫本、舟崎文庫本を参考に編集されている。

佐渡年代記続輯目次R
佐渡年代記巻之10R
佐渡年代記巻之11R
佐渡年代記巻之12R
佐渡年代記巻之13R
佐渡年代記巻之14R
佐渡年代記巻之15R
佐渡年代記巻之16R
佐渡年代記巻之17R
佐渡年代記巻之18R
佐渡年代記巻之19R
佐渡年代記巻之20R
佐渡年代記巻之21R
佐渡年代記巻之22R
佐渡年代記索引R
佐渡年代記拾遺巻之下R
佐渡年代記拾遺巻之上R
佐渡年代記続輯巻之1R
佐渡年代記続輯巻之2R
佐渡年代記続輯巻之3R
佐渡年代記続輯巻之4R
佐渡年代記続輯巻之5R
佐渡年代記続輯巻之6R
佐渡年代記続輯巻之7R
佐渡年代記続輯巻之8R
佐渡年代記続輯巻之9R

0001-0003-136「佐渡郷土文化」136号

佐渡郷土文化136

佐渡郷土文化136

136 土田麥僊筆「滝図」短冊について               上田  文
136 農相山本悌二郎 外相有田八郎 生家山本桂家墓所遷座祭・
山本藤左衛門家墓所遷座祭        山本 修巳
136 中国古書画の名著-復刻- -山本悌二郎共著- 山本 修巳
136 須田剋太をめぐって、船戸安之の水替無宿の詩について     渡辺 恭伸
136 須田剋太氏について 山本 修巳
136 佐渡残雪                                      杉村 邦彦
136 杉村邦彦氏簡介       山本 修巳
136 日蓮配所「塚原」はどこか       児玉 信雄
136 金太郎焼の新発見       磯野  保
136 クロモとキタワレカラ        伊藤 正一
136 作家三浦綾子のルーツ -佐渡金丸と苫前「佐渡衆」- 渡辺 和弘
136 生田秀と森鷗外
-同時期ドイツに留学、ミュンヘンでビール体験- 斎藤 明雄
136 生田秀と山本藤九郎家と本間能太夫家             山本 修巳

0001-0003-135「佐渡郷土文化」135号

佐渡郷土文化135

佐渡郷土文化135

135 佐渡と蹴鞠-山本家所蔵・蹴鞠鴨沓の免状を読む- 秋岡 啓子
135 山本半右衛門家が所蔵する陶器、三題 相羽 重徳
135 新潟日報歴史フォーラム「歴史の島佐渡と江戸幕府」に参加して
-徳川宗家十八代当主徳川恒孝氏と- 山本 修巳
135 史料紹介『佐渡土産』(2) 余湖 明彦
135 無名異焼(むみょういやき) 倉田 史子
135 「ダコタ」の追憶
-ダグラスDC-3ダコタ(愛称シスター・アン)- 大寺  勝
135 佐渡一国義民殿再建模様            齋藤 英夫
135 佐渡金山顕彰碑          田中 志津
135 酒井友二先生歌碑 除幕式祝辞          山本 修巳
135 坂口昭一著「翻刻 堀家本源氏物語」出版            山本 修巳
135 漱石と良寛 -良寛の母の名前から『明暗』を想う- 斎藤 明雄
135 台湾の本に佐渡出身山本悌二郎紹介 山本 修巳
135 悪霊 北一輝異聞(連載小説 第15回)第1部 逆光の凪ぎ 第7章 秘恋 中川 芳郎
135 続・抽栄堂軒過録(来訪者人名録)(16)
-私の家を…- 平成24年~25年 山本 修巳
135 〈資料〉諸書にあらわれた山本家(1) 山本 半蔵
135 山本修巳句集『花麝香』(1) 中平 泰作